このときに、読み終えた本の記録
岐阜公園にある博物館で、蓮如展を開催している。まだ見に行っていないが、いい機会なので、この本を読んだ。蓮如がなぜ、今、注目を集めているのか、理解不能である。五木氏もなぜこの本を書いたのがよく分からない。岩波新書からも、『蓮如』を出してみえるので、そちらも読んでみることにする。
蓮如は、浄土真宗の中興の祖である。本願寺の八代法主の方である。1400年代の人である。
遠藤周作が『深い河』という小説で、仏教を扱った。同時期に五木寛之も扱ったことになる。どちらも話題になった。こちらの『蓮如』の副題が、「−われ深く淵より−」である。遠藤周作の本の題と似ているところもおもしろ。
「深く淵」と言う言葉から連想するのは、ランボーの地獄である。
また、みえた、永遠
いっちまった海のことさ
太陽もろとも
たしか、こんな一節があったと思う。海と太陽と言えば、「空海」である。空間の裂け目にきらめく光をみるか、絶望をみるか。「空海」は、空間の裂け目にきらめく光をみたと思う。だから「空海」と名乗ったであろう。遠藤周作や五木寛之は、そこに絶望と救いを見ようとしたかもしれない。ランボーは、地獄をみたのかもしれない。蓮如は、天台宗のお寺から弾圧を受ける。もともと、蓮如の教えは、天台宗を開いた「最澄」に始まる。親鸞がそこで修行し、その筋を引き継いだのが蓮如である。最も澄むという「最澄」の流れが、鎌倉仏教の流れをつくり、民衆に普及していった。「最澄」系が泥臭くなっていったのは、不思議である。